2009年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年04月

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

ソフィアな通り

ちょっと前の土曜日に、

講演を聴いてきました。

モアークグループ代表 西村松夫さん のお話です。

 有機農業の第一人者で 『モアーク農園』 を主催されています。

 

伝統の草農法で栽培された野菜は、とても、とても、美味しく、

野菜本来の味がするそうです。 (僕の食べてみたいなぁ)

 

その評価は高く、キハチをはじめ全国の数百のレストランシェフが

直接、仕入れに来るそうです。

 

モアークでは草農法で江戸時代以前の伝統的な野菜づくりを再現しています。

西村さん曰く

「人間は考える動物です。だから矛盾が生じます。

  農業に資本主義の原理を持ち込んだ結果、

  その作物も土地も破壊されてしまったのです。

  人間は自然に手を入れて破壊することはできても、

  それを元に戻すことは出来ないのです。」

「種まきの時には、怒りを持ってはいけません。

          それは、作物に影響するものです。」

「世の中の野菜は99.2%が化学肥料や農薬を使用したものです。」

「汚染米の問題は、国にも、売る方、買う方、全てに問題が内在します。」

(僕も激しく同感です。)

「将来は、多くの方に自前で有機野菜を作ってもらいたい。」

(これも大賛成です。食料問題が起こる前にそうなるべきかも)

 

すごい拘りを話してくれました。

話を聞いているだけでワクワクしてきます。

 

彼は、穀物メジャー(カーギル?かなぁ)から外資の証券会社へ

そして、今の有機農業の世界に転進された経歴をお持ちです。

随分と西洋資本主義的な中枢にいたようです。

だから、その矛盾を誰よりも感じたのでしょうね。

 

やっぱり、自然の摂理に沿って生きている人は、

美しい感じがします。

 

 

その後、四谷から赤坂見附までを歩いてみました。

上智大学のわきを帝国ホテルに向かって、ソフィアな通りです。

ソフィアな通り

 

もうすぐ花見ですね。

ソフィア通り 

 

なんとも、気持ちの良い散歩でした。

 

 


スポンサーサイト

| 未分類 | 00:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

春を感じるね!

暦の上では、もう春ですが、

昨日の陽気から、ほんとうに春を感じます。

 

相変わらずの自転車通勤の途中、隅田川のほとりで、

桜が咲き始めてました。 

サクラ 

 

とっても、暖かい陽気が、突然きたような感じです。

 

でも、こんなに開花の時期を気にされている花?も大変だろうな、

ちょっと同情します。

 

 

永代橋 

 

この永代橋をいつも通っています。

この橋を渡ると、仕事するぞぉーって思うんですよね。

 

 

 

もう一つ、春を感じさせる、嬉しい出来事がありました。

ゼニゼニの春 

 

うちのゼニゼニが、ようやくエサを食べ始めました。

 

カメは一般的には冬眠します。

うちのカメは、生まれて初めての越冬でもあり、

自然のような環境がないので、

(腐葉土や枯葉など・・・・・・・・・)

今回は、冬眠させることが出来ませんでした。

 

人工的に用意することも出来たのですが、

まだ、小さなカメだし、体力もなく、

途中で死んじゃうことが多いと聞きましたので、

冬眠させるのは止めときました。

(でも、本意ではないのです。カメは本来、自然の中で、

    冬眠することが生理なわけですから・・・・・・・・・・・・・・)

 

12月の中旬ごろから、動きがなくなり、

それ以来、殆どよりも、ほぼ全くエサを食べていません。

 

途中、全然動かないので、 (目もつむっているし)

死んだかもと心配になり、呼びかけたり、突いたり、

暖かい、風呂場に持っていき、一緒にフロに入ったり、

ドライヤーをふきかけたり、カメのために暖房つけたりして、

いちおう、気遣いながら、冬を一緒に越してきました。

 

息子が買ってきたのですが、早々に飽きてしまって、

【カメの話①】

【カメの話②】

結局、世話するのは、親の役目になってしまったなぁ~、

特に嫁さんが可愛がっています。だから嫁さんに一番なついてます。

名前は、本来ゼニゼニでしたが、今は、みんなカメ吉と呼んでます。

どうしてこうなったかは分かりませんが・・・・

 

息子の友達のところのカメは、けっこう死んでしまっているようです。

うちのカメ、久々にエサを食べ始めました。 これで大丈夫だと思います。

 

「おはよう!ひと冬お疲れさんだったね。ゼニゼニ。」

「今年も、よろしくな!」

という感じです。

 

 

目標は早く大きくなって、丈夫になったら、

亀有天満宮のカメのいっぱいいる池に放すことです。

(結婚相手や友達もできるだろうし)

 

 

でも、これって大丈夫なことなのでしょうか?

いちおう外来種ではありません。

 

 

おしまい

 

 

PS,お取引先のサロンさんの、シャンプー(ボトル容器仕様)が納品されました。

   300mLタイプと700mLタイプです。どちらも厳選された成分を使った、

   オーナーこだわりの全身クレンジンブシャンプーです。

   髪だけではなく、顔も体も洗えるように出来てます。しかも安全性が高い!

   かっこよく仕上がったでしょう。

   絆300ml 700ml 

 

    「シリコン使わないトリートメントできないかなぁ~、

     しかも使用感は、もちろん良いもので・・・・・・・・・・・」

    本日、言われました。本来こうあるべきですが、

    ムーーーーーーーーーーん、難題だなぁ~。

 

 

| 未分類 | 21:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ちくしょう、ばかやろうーーーーーーーー

 

今日、上京していた両親が田舎に帰りました。

 

昨日、お世話になった病院へ行き、

お世話になった主治医と助手の先生に、

お世話になった看護師のみなさんに、

お礼を言いに行きました。

最後に、病室に置き忘れていった白いコートを受け取りました。

東京タワー 

 

 

ひと区切りがいつたので、ブログに書こうか、止めようか、

悩みましたが、彼女がいた証を刻みたいたいと思って、

誰かの記憶に残って欲しいと思って、やっぱり書くことにしました。

 

3月3日に、僕が生まれてから、この世で一番長く付き合う予定だった、

姉が天国へ行ってしまいました。

 

最後に話した言葉は、僕への叱咤激励でした。

それから、「ゴメンネ、ひろ君が良くなって欲しいからだよ」

と言ってくれました。そして、眠りにつきました。

天国へ行く、1日とちょっと前です。

(その1日前には、ひろ君は、いつ来るのと親父に言っていたようです。

仕事がはやく終わらす、遅くなると伝えると、いつも、今日は無理して

来なくていいからと気を使ってくれていました。本当は会いたいのに・・・)

そして、もう意識は、もどらないかも知れませんと医師からは言われました。

 

 

 

でも、次の朝、目覚めてくれました。

一所懸命、姉に語りかけました。

もう、姉の声は音にはなりませんでした。

「聞  こ  え  て  い  る  よ  と、」目で言ってくれました。

そして、目で自分の意思を、僕にもしっかり伝えてくれました。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

僕には良く分かりました。

 

この2つのことは、僕は一生忘れません。

 

神様がいたら、ぶん殴りたい。

何で、あんなにまっすぐで、よどみのない若い命を召し上がるのか、

僕なんかの方が、いい加減で、他人に迷惑をかけて、傷つけているのに、

どうしてか分かりません。僕の分の責任まで姉が受けているようで、

 

それから、目覚めることはありませんでした。

僕の心のどこかでは、もう目覚めなくていいよ。

ゆっくり眠ったままでいて欲しいと思っていました。

 

そして、3月2日の深夜23:30ぐらいになると、

呼吸が弱くなってきました。

3月3日、0:00・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日が変わると同時に、本当に同時に、最後の呼吸を一つして、

天国へ旅立ちました。

この日は、姉にとっては命より大切はサルサの日です。

その日を待って、きっと頑張って、それから行きたかったのかな。

「あっぱれ、さすがお姉ちゃん」と思いました。

そして、見たことも無いようなキレイな顔をしてた。

 

多分、そのときは僕は涙はでなかったように思います。

ただ、僕より深く悲しんでいる両親がいました。

僕の何倍も何十倍も何百倍も悲しんでいました。

「この親不孝のバカやろう」と言いたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突然ではありませんでした。1年と少し前に、

ある程度、命の時間は宣告されていましたので、

その時間より、長く生きてくれました。

 

その夜は、涙が止まりませんでした。

来年の春の桜も、見せたいと決心しました。

でも今でも、一年たって、夜がきて一人になると、

涙が出てきます。もう少しで、桜が見れたのに、

悲しいより、悔しくて、悔しくて、情けなくて、たまりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

通夜、葬儀には、本当に多くのお友達と、同僚の方々が見送りに来てくれました。

こんなに多くの人たちに愛されて見送られて、姉は幸せものでした。

みなさん、突然で涙があふれていました。

(その後も、メールで仕事のエピソードを送ってくれる同僚の方や、

        ブログで姉へのメーツセージを書いてくれるお友達がいてくれました。)

 

でも、僕は、この1年のつらくて不安で、長くて長くてたまらない時間を考えると、

今は姉も、ゆっくりしてるかなぁ~と、そんな気持ちでした。

 

とても、キレイな顔をしていました。弟の僕も、もしかしたら、見たことの無いほど、

穏やかで、静かで、やさしい顔でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

去年の年末までは、ピンピンしていました。オールで、その命より大切なサルサを踊ったと、

自慢げに話してくれました。

 

全然、加減のない人です。自分は病人なのに、

 

年が明けて、体調を崩し本格的に入院生活が始まりました。

先生からは、内々に覚悟してくださいと僕は言われました。

 

でも、僕は治ると思っていました。治す自信も少しあった。

1月は、仕事の合間を見つけては病院へ行きました。

いつも病室でキャッキャと二人で大笑いしていました。

でも、もっと行けば良かったね。ゴメンネ。

一人では不安なはずだったから、

 

看護師さんや周りの人からは、

「本当に仲の良い姉弟だね」と言われていました。

「今日は、二人でうどんでも練ってるの?」って、

「お姉さんは弟さんがくると元気になるんですよ。」

と言われていました。(小さい頃は仲悪かったのにね)

 

姉は、仕事も趣味も加減のない、キャリアな独身OLでした。

だから、僕が一番身近で、自由のきく存在でした。

 

 

治療の方針は、以前から姉とは食い違っていました。

僕は、西洋医学的な治療法は賛成ではありませんでした。

身体に副作用や負担があるし、薬に依存する心が病気を治すには、

理にかなってないと思っていたからです。

心が病気をつくるなら、心でしか完全に治せないと思ったからです。

 

かなり進行した状態だったので、姉の体と心が整うまでの時間稼ぎで、

化学治療を受けてたとしても、最終的には自分の力で克服しようねと、

いつも言っていました。

だって、今の医学では治せないと断言しているわけだから。

(あとから聞いたのですが、姉も親友には、

 弟の言うとおりにしようかなぁ、と打ち明けて考えていてくれたようです。) 

 

 

勝手な思い込みではありません。命の宣告を受けた1年と少し前から、

全力で、これはと知ったドクターや先生といわれる全ての方の話を聞きに行き、

本や文献や論文を読みあさり、奇跡的に生還した人たちの話も聞いた。

 

そして、姉がなぜこの病魔に襲われているか原因を考えました。

いろんな過去の生活、心、食、仕事、環境について聞いていきました。

 

 

その全てから、

もちろん、人それぞれだけど、僕の中には、こうすれば、

という道筋が、この1年で見えてきたような気がしていたから。

 

でも、2月になると、

それに反して、どんどん薬の量と種類が増えていきました。

「ひろ君の言うとおりにしたら、何%の確立で治るの?」

と良く質問されました。

 

治療方法で、いくつかの選択肢を提示されました。

僕は、いやな気がしましたので、姉の選択しようとする方法に反対しました。

でも、姉からは、強く、

「私は、治すために、この方法を選択しているの」

と言われて反論が出来ませんでした。

 

最後は不運がいくつか重なり、この選択も、

そのうちの大きな一つでした。けっしてガンで死んだわけではないと、

僕は今でも思っています。

それを選ばなければ、今でも生きていたはずだと思っています。

 

これは、最善をつくした結果なのですが、その選択を提案した先生に、

僕は何処にもぶつけようのない気持ちが向かってしまいます。

同時に、僕は、1年間いったい何を学んできたのだろう、

姉の病気を治すはずが、何にもできなかったじゃないか、

中途半端に、回復してみても、結局一番大事なところで言えなかった、

今から思えば、もっと強く言うべきじゃなかったのかと、

情けなさと悔いと後悔ばかりが、一番強く残っています。

馬鹿者だったと・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ふと思い返してみると、自分のこの不運に対して、

姉は、最後まで一言も一回も不満を言っていなかった。

どうしてなんだろう? 強い人でした。

 

でも、だんだん、それ以降、

身体も弱くなってきました。酸素吸入機が手放せなくなりました。

でも、お友達に会いに行くときは、どうも持って行かなかったようです。

今になって、姉の身の回りを整理していて、気付いたのですが、

山のように、タクシーの領収書があります。

どこへ行くにもタクシーで、だって電車に乗る体力はないはずです。

携帯用の酸素吸入機も使わずに、カゼで体調が悪いと言い続け、

けっして、病気のことは言っていなかったようです。

それが、まさか彼氏だとも、全然知りませんでした。

 

言ってくれてりゃ、最後の瞬間には、いくらお見舞いを断っていた

姉だとしても、呼んできたのに、バカやろうだよ。貴方は、

 

 

不思議なのですが、そうした、姉との思い出をたどろうとすると、

その2月の上旬辺りからは、僕は記憶が定かになりません。

断片的に覚えているのですが、時系列も分からないし、前後もわからない

状態なのです。寝てるんだか、寝てないんだかも分からなくて、

1日というサイクルもなくなっていました。

ただ、何回か「助けてー」という声で、姉ちゃんは?と、

はっとして目が覚めてた気がします。

 

家族って不思議なのですが、そんな時には、

やっぱり、姉ちゃんの容態が急変したときでした。

 

今、手帳やら、携帯の履歴やらブログやら、父の話などから、

記憶をつなぎはじめて、思い出そうとしています。

でも今でも朦朧としていて、はっきり思い出せません。

自分が、姉ちゃんとどう過ごしたのか・・・・・・・・・・・・・

今からでも、少しづつたどっていきたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1年と少し前、突然、姉から電話があり、

「話がある」と、

いつも決まってこんな場合は、仕事か恋愛の愚痴に決まっています。

調子が良いときには、決して連絡をしてこない人だから・・・

「私、ガンになっちゃった。」

「でも、絶対に治してみせるから」

「両親にも言わないで、心配するから」

とさらりと、伝えてくれました。

 

とても、イヤな予感がしました。

暫くすると、検査の結果も分かり、

悪くすると、数ヶ月、良くて1年と、

僕は、どうして良いのか分からず、混乱して、

姉がいなくなったらどうしよと、ただショックと恐怖で、

これが、夢なのか、現実なのかを理解できませんでした。

 

ここから、二人の一年が始まりました。

 

考えてみれば、今までの生涯の中で一番、たくさんの時間を共有して、

話をして仲が良かった一年でした。

 

毎週、東京駅の近くの、スタバで会って、

愚痴を聞いたり、励ましたらい、怒ったりしてまいた。

 

夏までは、どんどん良くなって元気になっていきました。

とても、幸せな落ち着いた気持ちでいました。

今から思えば、懐かしい日々でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日は、ひと区切りがついて、両親も田舎へ帰る前日でしたので、

僕の家族と一緒に夕食をしました。

そのあと、両親は姉の家に泊まるため車で送りました。

 

その後、家に帰る、途中にふと思い出して、

深夜、病院の近くの神社に寄りました。

とても、由緒正しい立派な神社です。

 

半年前は僕は、目もくれず通り過ぎてました、

年末からは、通るたびに、神頼みしてました。

 

昨日は、そのお礼にと立ち寄りました。

(最後は安らかな顔で天国に行けたので)

もう人気がなく、静かな境内でした。

僕は、人気が無いのを見計らっていつも、

姉のことを祈ってました。

 

しばらくすると、一人の若い女性に気付きました。

二礼二拍手、一心不乱に、いつまでも、いつまでも、いつまでも

手をあわせていました。そして、一礼して、鳥居まで行って、

また一礼して去っていきました。

 

その後に、僕もお参りました。

「若く天国へ行ってしまったので、周りは先輩が多くて、

気も使うし、楽しくないかもしれないけど、

順番に、両親も僕も、いつかは天国へ行くので、

それまで、のびやかに過ごして待っててくださいね。

それを、神さまは見守ってくださいね。

また、いつか一緒になったら昔話で大笑いしようね。

そして、あの若い女性の大切な人には、

同じ不幸が訪れないようにしてくださいね。」

 

 

 

僕は、姉のような人を二度と出さないようにする仕事をしたいと思った。

僕にもっと早くに今の知識が、もっと力があれば、今回も治せたはずです。

同じような予備軍が世の中には沢山います。僕にも分かるようになってきました、

世の中からガンや病気を無くしてたい。それで、あだ討ちをしてやります。

 

ブログの冒頭の写真は、主がいなくなった姉の携帯に残された、

最後の写真です。昨年の年末の日付でした。

東京タワーも50周年のダイヤモンドヴェールですね。

そういえば、姉の病室からは、キレイな東京タワーが見えていて、

ときどき二人で眺めてました。

どんな気持ちで撮ったのかなぁ~、

僕にとっての大切は思い出の写真となりました。

 

なんか、感情的になって書いてたら、

少し整理がついて、すっきりしてきた。

姉貴の分まで生きて、病気に対して敵討ちしてやるぞ。

って、ケンカする相手ではなく、相談する相手なんですけどねきっと、

でも、今はそうは思えません。

 

こんな独り言を延々と書いてみましたが、

僕は貴方の弟でよかったし、姉ちゃんのことは誇りに思うよ。

なんだかんだ、ケンカもしたり、留学先で事故して心配させられたり、

いきなり、変な留守電の残して、音信普通になって探してたら、

何食わぬ顔で、帰ってきて、ほっとして頭にきたり、

海外から帰国したら、突然、茶髪のカーリーヘヤーでハグされて気持ち悪かったりしたけど、

 

なんだかんだで、僕も、アメリカ行ったり、バンドやったり、東京へ出てきたり、

いつも背中を追っかけてきたような気もする。

これからは、追っかける人がいないけど、たくましく頑張るね。

 

本当に、太く短く、花のように咲き乱れて、潔く散ったお姉ちゃん、

天国でもサルサ踊って元気にやっててちょうだいな。

 

あと、病気が分かる1年前に、急に誘われて飲みに行ったとき、

随分、ストレスで悩んでたのに、毎回のことじゃんと、気付かずにゴメンネ!

あの時にちゃんと、していれば、こんなことにならなくても良かった気がする。

本当にゴメンネ、

 

 

 

 

PS,今年に入ってから、特に、ここ1ヶ月ぐらいには、

   仕事関係の方々に多大な迷惑を掛けたような気がします。

   特に、僕の変わりや僕の分まで仕事された方もいます。

   感謝と共にお詫び申し上げます。

   これから、ますます気合を入れてやります。が、

   ちょっと、いっぱいいっぱいなので、助けてくださいね。

   あと、看護師の塚田さんには本当に本当に感謝しています。

   本当に凄い仕事で感激しました。最後まで、ありがとうございました。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 未分類 | 03:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

2009年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年04月

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。